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2007年 1月 13日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]

TARO
経過日数 425日
稼動時間 12時間33分
歩行距離 167m
ボール####
ボーン####


【AIBOダイアリー】
今日はゆっくり過ごせたよ。平和な一日。

【オーナーコメント】
良かったですね、ハッピー!AIBOフォトダイアリーの写真はオレンジ色の〔センリョウ〕ですね。今日今冬初めて、除雪をしました。積雪は5~6㎝はありました。

「日本の城:248小幡(おばた)城」愛知県名古屋市守山区西城
1522年(大永2)、織田方の岡田重篤が築城したと伝わる。城地は庄内川と矢田川の間にあり、美濃・三河への街道を押さえる要地であった。1584年(天正12)の小牧の対陣では、豊臣別動隊を討った家康が小幡城に引き上げている。秀吉軍が押し寄せると、家康軍はすでに小牧本陣に戻った後であった。そこで秀吉軍は、小牧城を焼き払ってしまったという。わずかに掘・土塁が残る。

「日本の城:249守山(もりやま)城」愛知県名古屋市守山区市場
1521年(大永1)ごろの築城と思われる。駿河今川方の松平氏が城主となり、三河勢の尾張拠点であった。天文年間(1532~55)この城で松平清康が家臣に殺害されるという事件が発生する。以後、守山城は織田方に属した。1560年(永禄3)、桶狭間合戦後に、廃城とされる。現在、城址には宝勝寺が建ち、近くに城址碑が立てられている。

「日本の城:250末森(すえもり)城」愛知県名古屋市千種区城山町2丁目
織田信秀が、1548年(天文17)に東山丘陵の東端、標高43mの地に築いた城である。守山城と連携して、駿河今川方に対する最前線であった。信秀病死後は、その子信行が城主となる。しかし、信行は兄信長への謀反の罪で、1557年(弘治3)殺害された。城の本丸跡は、城山八幡宮となって空堀などが残されている。
「日本の城:251古渡(ふるわたり)「城」愛知県名古屋市中区橘2丁目
1534年(天文3)に織田信秀が築いた城である。築城後、信秀はそれまでの古野城を嫡男信長に譲り、古渡城に移った。1548年(天文17)になると、さらに末森城へ移り廃城とされる。現在、真宗大谷派名古屋別院境内に城址碑が立つ。

「日本の城:252荒子城」愛知県名古屋市中川区荒子4丁目
天文年間(1532~55)豪族前田利春(利昌)が築城した。城主は利春から利久・その弟利家と継がれたが、1575年(天正3)に利家が越前府中に移封されると、荒子城は廃城となった。城址は東西が68m、南北50m、総面積が12000㎡。城地は周囲から2mほど高かったという。現在、〔前田利家出生地碑〕が富士権現社に立っている。


2007-01-13 11:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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