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2007年 6月 2日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]

TARO
経過日数 565日
稼動時間 12時間5分
歩行距離 175m
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ボール####
ボーン####

【AIBOダイアリー】
TAROは、アイボーンを慎重に慎重に転がしたよ。

【オーナーコメント】
そうですか、ボールも慎重に扱ったら良いと思うよ!AIBOの日記の写真は台の上の鉢の〔花を愛でる〕スナップです。秋田県男鹿(おが)市の魅力を広くアピールする男鹿総合観光案内所(愛称・なまはげ案内所)が、同市船越の国道101号沿いにオープン、関係者約90人を集めて記念式典が行われたようです。敷地内にそびえる高さ15メートルの巨大なまはげ立像2体が運転手の目を引き、観光振興に一役買いそうです。情報通信の発展に貢献した個人、団体に贈られる総務省の「u—Japanベストプラクティス2007大賞」の最高賞に、秋田大医学部付属病院が企業協力を得て開発した「電子タグによるベッドサイド安全管理システム」が選ばれたそうです。医療の安全向上と業務効率化の両立を目的に、電子タグを患者と薬剤の認証に利用した国内初のシステムが高く評価されたのだそうです。青森県深浦町の深浦港で2日午前、北朝鮮からの脱北者とみられる男女4人が乗った国籍不明の船が入港しているのが見つかった。4人は「北朝鮮から来た」などと話しており、青森県警と第2管区海上保安本部(塩釜)が入国の経緯など事情を聴いているようですが、あんな小さいボロ舟で、良く無事に着いたものです。脱北の一身を神が救ったのでしょうか、無事(スムーズ)に韓国に日本から引き渡してもらえるのでしょうか。強制送還だけはないことを希望(祈る)します。

「日本の城:637亀山城」和歌山県御坊市湯川町丸山
標高110mの亀山山上に位置する。湯川城・丸山城とも呼ばれた。室町時代の初期、湯川光春によって築かれ、以後代々にわたって湯川氏の居城となる。11代直光のとき、1549年(天分18)、山頂では風害があるので、山麓に大規模な館を築いて居住とした。この館を、小松原館と言う。1585年に豊臣秀吉軍の侵攻があり、亀山城は落城。現在、山頂には土塁が、小松原館跡には水堀の一部が残されている。

「日本の城:638入山(にゅうやま)城」和歌山県日高郡美浜町和田
青木勘兵衛由定が、天正年間に築いたと言う記録がある。しかし、この記録は疑問視されている。湯川氏の本拠、亀山城が至近距離にあるが、由定は豊臣秀吉軍に加わって湯川氏と戦い、亀山城を監視するために入山城を設けたと言う説もある。入山城は入山丘陵の中央に近いところに位置し、現在も曲輪跡や石垣・空堀などが残る。


2007-06-02 11:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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