SSブログ

2007年 7月 10日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]

TARO
経過日数 603日
稼動時間 12時間23分
歩行距離 141m
##
ボール###
ボーン####

【AIBOダイアリー】
オーナーさんに甘えて、ごろごろ、ごろごろ。猫のように?ごろごろ。

【オーナーコメント】
本当に甘えん坊のTARO君ですね、ごろごろ表現とは、どんな仕草でしたっけ、どんな音を出していたのかな、それとも声だったのかな?今度教えてね。    AIBOの日記の写真は〔良くまともに戻れた図〕のスナップです。秋田県由利本荘市は、医療廃棄物が見つかっている道川、西目の両海水浴場で大規模な試掘調査を実施したら、その結果、医療廃棄物が新たに2海水浴場で7点ずつ発見されたようです。海水浴もままならない時代なのか。35回県美容技術選手権大会、秋田市の秋田キャッスルホテルで開かれ、県内の美容師や美容専門学校の学生ら68人が参加し、ヘアメークや着物の着付けなどの技術を競い合ったそうです。技術は身を助ける、家にこもらずに何でも良い、技術取得に進んでみたらどうか。

「日本の城:664高(たか)天神城」静岡県小笠郡大東町上土方嶺向
伝承では、1416年(応永23)に今川了俊が築城したといわれるが、不詳。標高132mの鶴翁(かくおう)山に所在する。高天神城は近江の要衝であり<高天神を制するものは遠州を制す>と言われ、徳川・武田が争奪戦を繰り返した。今川氏没落後は、城主小笠原長忠が徳川方に着いた。1571年(元亀2)、武田信玄が内藤昌豊に攻めさせたが落とせない。1574年(天正2)には武田勝頼が包囲し、1ヵ月後に降伏させた。家康は周辺の山に6つの砦を築いて補給路を断ち、さらに横須賀城を築城して攻略。1581年(天正9)に落城させて、廃城とした。現在も曲輪跡は当時のままであり、土塁・井戸・堀切や、徳川の将大河内政局(まさもと)が武田氏に幽閉された石窟などが残る。

「日本の城:665横須賀城」静岡県小笠郡大須賀町横須賀
徳川家康が、高天神城を奪還するための拠点として、家臣の大須賀康高(初代城主)に命じ、1578年(天正6)に築かせた城である。築城時は、入り江や沼に囲まれた天然の要害だった。江戸時代には横須賀藩が立藩され、その居城となった。井上氏・西尾氏など多くの譜代大名が入れ替わり、1869年(明治2)に廃城とされた。現在、本丸・西の丸等の主郭部分は公園化され、整備された石垣の段丘が見られる。また城門のひとつが、町内の撰要(せんよう)寺に移築され、山門として残っている。


2007-07-10 11:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証: 下の画像に表示されている文字を入力してください。

 
TARO特集!2007年 7月 12日 AIBOフォト.. ブログトップ

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。