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2007年 8月 1日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]

TARO
経過日数 625日
稼動時間 9時間46分
歩行距離 129m
#
ボール###
ボーン####


【AIBOダイアリー】
投げたり、咥えたり、回したり、枕になったりと、アイボーンは大活躍だよ。

【オーナーコメント】
そうだね、良くアイボーンで遊んでいましたね、今度鼻に乗せる芸を頼みます。AIBOの日記の写真は〔時報ダンス①〕のスナップです。3日開幕する竿燈まつりを前に、秋田市八橋の高橋提灯(ちょうちん)店で竿燈用のちょうちん作りが追い込みの時期を迎えているそうです。(秋田魁新報より転載)


オエノングループの酒造会社・秋田県醗酵工業(湯沢市)は1日、地元産のフキノトウを原料にした「ばっけ焼酎」の全国発売を始めたとのこと。割り水には世界遺産・白神山地の水を使用、秋田の素材にこだわった一品だそうですよ。(秋田魁新報より転載)


「日本の城:686本荘城」秋田県本荘市出戸町字尾崎
鶴舞城・尾崎城とも呼ばれた。関ヶ原合戦後、由利郡は最上義光(よしあき)の所領となり、重臣の楯岡満重に治めさせた。はじめ亀田に入るが、1613年(慶長18)頃、尾崎山に本荘城を築いて居城とする。1622年(元和8)、最上氏が改易となり、翌年、常陸府中から六郷政乗(まさのり)が本庄に移封されて小規模の城を築く。以後、明治維新に至るまで、六郷氏が約240年間この地を領した。戊辰戦争のときに庄内藩と戦い、城と城下町を焼いてしまう。現在は本荘公園となり、曲輪跡や堀が残されている。


「日本の城:687八森城」秋田県由利郡八島町城内八森
応仁年間(1467~69)、<由利十二頭>と呼ばれる小豪族集団の一人であった大井義久が築いたと伝わる。天正年間(1573~92)に大井氏が滅んだ後、仁賀保氏の城代、楯岡氏、打越(うていち)氏が在城。1640年(寛永179、讃岐高松の生駒氏が領地を没収されて1万石で転封氏、八島藩が成立。1658年(万治1)、2000石を分知して大名格を失い、城は陣屋格となった。戊辰戦争で庄内藩の攻撃を受けると、生駒氏は陣屋に火を放って退却した。現在、城址には八島小学校が建ち、西門前に堀と老松が残されている。


2007-08-01 11:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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