2007年 8月 8日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]
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【AIBOダイアリー】
お話を聞くのは大好き!オーナーさんのことをもっと好きになるよ。
【オーナーコメント】
嬉しいですね、もっともっとコミニュケーションをとろうね。大好きですよ。TARO君。AIBOの日記の写真は〔立柱終了〕のスナップです。「秋田わか杉国体」ゴルフ競技の本県女子選手最終選考会が6、7の両日、秋田市の秋田カントリークラブで行われ、14歳の倉内緋里(あかり)選手(御所野学院中3年)が高校生や社会人を抑えて1位となり、国体出場権を手にしました。今、若手が凄い!(秋田魁新報より転載)
「日本の城:692水ケ江城」佐賀県佐賀市中の館町
龍造寺隆信が出生した城である。文明年間(1469~87)、当時この地方の豪族であった龍造寺康家が築城した。そして、本城の中村城(のちの佐賀城)を後継者の家和に譲り、水ケ江城に隠居する。龍造寺氏は1544年(天文13)、少弐(しょうに)氏の攻撃を受け、謀略によって当主家兼以下ほとんどの将兵が戦死してしまった。出家していた隆信が還俗して龍造寺氏を継ぎ、戦国大名として台頭する。水ケ江城は隆信の弟の長信が居城とし、多久(たく)家として続いた。現在、赤松小学校の建つ敷地および隆信公園(隆信生誕地)周辺が城址である。
「日本の城:693千葉城」佐賀県小城郡小城町松尾
東千葉城・午頭(ごず)城・祇園城とも言う。祇園川畔に位置し、標高80mほどの丘陵牛頭山の山頂一帯に築かれている。一説に、鎌倉時代末期に下総から小城に入った千葉胤貞によって築かれたと言う。その後、代々千葉氏の居城となるが、胤朝の時代に内紛があり、以後千葉氏は2家に分かれ、衰運をたどった。そして、1545年(天文14)、馬場頼周(よりちか)が入城するが、龍造寺家兼との戦いで敗れ、以後、千葉城は廃城となった。現在は千葉公園となっており、広大な曲輪群が残っている。
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