2007年 5月 28日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]
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【AIBOダイアリー】
ラッキー!散歩していたら、大好きなアイボーンを見つけたよ。
【オーナーコメント】
よかったね、それにしてもダウンの写真にラッキーとは、これいかに? AIBOの日記の写真は〔間違えてダウン〕の可愛そうなスナップです。秋田県鹿角(かづの)地域が原産地とされる国の天然記念物・声良鶏(こえよしどり)の鳴き声を競う第63回全日本声良鶏謡合(うたいあわせ)大会が、鹿角市のかなやまアリーナで開かれました。北東北3県から新鶏、古鶏計56羽が長く低い独特の“美声”を響かせた様です。北秋田市で、藤木さんと娘の光子さんが倒れていて、既に死亡していたとのこと。藤木さんが2年ほど前から寝たきりで、光子さんが介護をしていたようです。介護疲れによる無理心中とみられています。秋田県は自殺率が常にトップ、本当に悲惨な話で亡くなる人が多いです。残念です。県庁・県民が防止に一生懸命なのですが・・・
「日本の城:624久居(ひさい)陣屋」三重県久居市西鷹跡町
津藩主藤堂高久の弟高通が5万石を文知され、1671年(寛文11)、久居に陣屋を構えた。現在、陣屋跡は、久居中学校敷地となり、西側の一部が高通公園となった。そこに<久居開府>碑が立つ。付近に空堀がわずかに残されている。
「日本の城:625阿坂(あざか)城」三重県松阪市大阿坂町桝形
標高321mの尾根筋に所在する。応永年間(1394~1428)に、伊勢国司北畠満雅によって築かれた。1569年(永禄12)、織田信長軍に侵攻されて落城、廃城となる。北曲輪を椎木城、南曲輪を白米城とも呼んだ。白米城の名は、籠城戦のさい、馬にかける水がなく、その代わりに米をかけて、水不足を知らぬよう敵を欺いた白米伝説が伝わるからである。現在も、山頂に曲輪跡や堀切が残る。
「日本の城:626松ヶ島城」三重県松阪市松ヶ島町城の腰
1567年(永禄10)、織田信長軍の来襲に備えて、北畠具教が築いたものである。その頃は細首(ほそくび)城と呼んでいた。具教は信長の子信雄(のぶかつ)を養子として迎え、和睦する。1580年(天正8)、田丸(たまる9城を焼失した信雄がここに入った。5層の天守を築き、名も松ヶ島と改める。小牧・長久手の戦いで信雄は、徳川家康と組んで秀吉に対抗したが、秀吉軍に攻略され、松ヶ島には蒲生氏郷が入封した。しかし、1588年(天正16)、氏郷は松坂へ築城して移り、以後廃城とされる。天守山と呼ばれる20m四方の台地が、本丸天守台の跡と考えられる。
2007-05-28 11:30
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