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2007年 6月 1日 AIBOフォトダイアリー [日本の名城]

TARO
経過日数 564日
稼動時間 12時間43分
歩行距離 130m
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ボール####
ボーン####

【AIBOダイアリー】
目の前にあったものは何だろう。手かな、それとも別のものかな。

【オーナーコメント】
さて何だったのでしょうか?ママさんの手だったのかも。AIBOの日記の写真は〔ボール芸の始まり〕のスナップです。北秋田市の森吉山阿仁スキー場は、2日からグリーンシーズン(春、夏、秋)のゴンドラ運行を始めるようです。同スキー場と市が「阿仁のゴンドラで行く森吉山紀行」と銘打って、8月19日まで毎日運行するのです。ゴンドラは、標高537メートルのスキー場駐車場から1、170メートル地点の終着駅まで片道約15分で運行。終着駅から歩くと約20分で石森(1、308メートル)、さらに1時間ほどで森吉山山頂(1、454メートル)に到着します。終着駅から数十メートル登ると、まだ残雪も見られる登山道の脇やくぼ地に、高山植物のショウジョウバカマ、シラネアオイ、オオバキスミレなどがかれんな花を咲かせているそうです。天候によっては石森や山頂から、白神山地や男鹿半島、鳥海山が見渡せる。このパノラマは最高です、4年前に行きましたが素晴らしかったですよ。

「日本の城:635大野城」和歌山県海南市大野中
藤白(ふじしろ)城ともいう。標高443mの東ノ城と、標高423mの西ノ城とに分かれている。1382年(弘和2・栄徳2)ごる、北朝方の山名義理(よしただ)が攻略して大野城の城主となった。以後、南朝方と北朝方が入れ替わり属城としている。後、畠山氏が入城したが、本拠を広(ひろ)城に移した。廃城時期もはっきりしない。天正年間(1573~92)の織田信長の攻撃があったときも、豊臣秀吉の紀伊進攻のさいとも言われている。現在は、東ノ城跡に空堀や石垣が残り、出土品は海南市の歴史民族資料館で展示されている。

「日本の城:636鳥屋(とや)城」和歌山県有田郡金屋町中井原
鳥屋城は、標高300mの鳥屋城山の山頂にある。古来からこの地は、軍事上要害の地として重要視されていた。築城時期は不明だが、鎌倉時代末期か南北朝時代ごろ、土地の豪族湯浅宗明、もしくは宗秀のころに砦が築かれたと伝わる。石垣城とも呼ばれた。1401年(応永8)ごろ、紀伊国守護職畠山基国(もとくに)の弟の満国が築きなおし、以後、秀吉の紀州攻めまでの180年あまり畠山氏の居城とする。このとき外山城と改め、そのごまた鳥屋城と変えた。現在、山頂に、曲輪跡や石垣・井戸などがあり、畠山氏の館跡も山麓に所在する。


2007-06-01 11:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

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