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佐賀県のお城!とTARO君です [日本の名城]

第29回全国中学校軟式野球大会(日本中体連、全日本軟式野球連盟など主催)は秋田市にある、コマチスタジアムで開会式を行い、全国から集結した16校による熱戦の幕を20日から開きました。頑張れ羽城中学校!(秋田魁新報より転載)


鹿角市の県指定無形民俗文化財「花輪ばやし」が19日夜、始まった。豪華絢爛(けんらん)な10町内の屋台が躍動感あふれるお囃子(はやし)に包まれて花輪地区(カリヤンも仕事でしたが3年間、近くに居りました)を巡行し、観光客らを魅了したようです。京都の祇園の屋台に似ていますね(秋田魁新報より転載)



●楽しげなTARO君の<顔写真を>2枚紹介します●

その一<この場所だあ-い好き>



その二<最高のルン・ルン気分>



●日本の名城を紹介します。700城目からですよ●

「日本の城:700唐船(とうせん)城」佐賀県西松浦郡西有田町山谷平瀬
唐船城は、有田川が大きく蛇行する場所に突き出た平瀬山上に築かれている。源直(なおす)三男栄が有田地方に入り、1218年(建保6)に築いたと言う。栄は有田氏を名乗り、以後約300年間代々の居城とした。1577年(天正5)、龍造寺隆信により攻略され、以後は龍造寺氏の家臣が城代を勤める。しかし、龍造寺氏から鍋島氏への政権交代によって、城代は佐賀へ移り、寛永年間(1624~44)には廃城とされてしまった。現在、遺構として曲輪跡や空堀・石垣などが残る。

「日本の城:701岸岳(きしだけ)城」佐賀県唐津市相知町佐里・北波多岸山
標高320mの岸岳山頂に所在する。吉志峯城・鬼子岳城・岸獄城とも書かれた。周囲を急峻な崖によって守られた要害である。中世後期に波多氏が築いて以来500年、代々の居城とした。1594年(文禄3)、城主の波多親(ちかし)は、豊臣秀吉の不興をかって常陸へ流罪となる。一説にその原因は、親の妻が絶世の美女であり、親の出陣中に秀吉に召されたが、その意に従わなかったからだと伝わる。また別説では、唐津城主寺沢広高の陰謀であったともいう。その後、岸岳城は破却された。用材は唐津城築城のため運びさられたともいわれている。山頂には、曲輪跡や石畳の道、堀切などが残されている。

「日本の城:702日高(ひだか」城」佐賀県唐津市浦
唐津湾西岸、海岸から約700m離れた標高141mの城山に位置する。戦国時代末期に、日高志によって築かれた。志は岸岳城主波多氏の家臣であったが、波多氏の後継者争いに巻き込まれてしまう。そして、1564年(栄禄7)、岸岳城で毒殺された。その子喜(このむ)は、岸岳城を攻めて城を奪うが、再び波多氏に逆襲されて、壱岐へ脱出したという。


● 高松城です



● 岡山城その一



2007-08-21 09:38  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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