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2007-08-24 [日本の名城]

●TARO君の<勇姿>を1枚●




秋田県大仙市の女性グループ「花火ときめきチーム」は、第81回全国花火競技大会(25日・大曲の花火)の観覧者向けにJR大曲駅から花火会場に至るアクセスルート周辺を紹介する「ときめきマップ」を作製した。仮設を含めたトイレ設置場所、子供連れが休憩できる場所など、女性の視点から役立つマップを目指した。(秋田魁新報より転載)



○ http://japan-fireworks.com/guide/oomgari.html
○ http://www.ldt.co.jp/hanabi/hanabi1.html
○ http://www.oh-hanabi.com/


●日本の名城を紹介します●

「日本の城:703志築(しづく)城」茨城県新治郡千代田町中志築
治承年間(1177~81)、源頼朝の家臣である下河辺政義によって築かれた平山城。子孫は益戸姓を名のり、代々城主となっている。1341年(興国2・暦応4)、大じょう高幹(たかもと)軍の攻撃を受けて落城、のちに廃城とされた。1602年(慶長7)、志筑地方には本堂氏が入る。そして、旧城址に陣屋を構え、明治維新まで続いた。現在の志築小学校が城址であり、グラウンド横に土塁・空堀が残されている。


「日本の城:704真壁城」茨城県真壁郡真壁町古城
1172年(承安2)、常陸大塚直幹(なおもと)の四男長幹が築いたと言う平城。長幹は以後、真壁氏を名のる。19代房幹は、1602年の佐竹氏の出羽秋田への移封に従い、角館へ移った。その後は、浅野長政、長重と継ぎ、長重の笠間移封に伴い、笠間藩領となる。城主のなかで異色の人物といえば、真壁暗礫軒道無だろう。関東八州に名高い、強力無双の持ち主だったという。現在、本丸跡には町民体育館が建つが、堀と土塁の大部分が残り、壮観。又、大和村の楽法寺(通称は雨引観音。坂東三十三所札所)の黒門は、真壁城の大手門を移築したものと伝わる。


「日本の城:705宍戸(ししど)城」茨城県西茨城郡友部町平町
常陸守護、八田知家(ともいえ)の四男宍戸家政が、1203年(建仁3)に築城した。その子孫は宍戸城主として代々続き、15代義利の時代に佐竹氏に臣従し、1595年(文禄4)、海老ケ島城(真壁郡明野町)に移る。1602年佐竹氏の出羽秋田移封に従わず、浪人となった。宍戸氏の後、秋田氏が入封。天領時代を経て、1682年(天和2)に松平頼雄(徳川光圀の弟)が陣屋支配を行い、明治維新に至った。今は本丸跡に土塁の一部を残し、陣屋の表門が岩間町に移建されて現存する。


● 岡山城その二



● 広島城その一



2007-08-24 09:42  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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